純粋2択

 

次元さらには四次元の駆け引き
(ちょっと大げさ)

 上防御・下防御を崩す、防御している相手を投げる、無敵技で返すというような技を出すか出さないかという純粋な2択の心理的駆け引きを二次元の駆け引きという。
 これは2択要素が強すぎる分確実な読みに至りにくく、バクチに走りやすい。相手が2枚のカードのうちどちらを出すのかを言い切れる場合は少ないからだ。
 赤と黒のルーレットのような駆け引きとイメージできる。
 
 そこに間合いの要素が入ると三次元の駆け引きになる。
 間合いの変化により2択×αと選択肢が増え、さらに間合いによる技の性質(攻撃判定完成の速さや攻撃判定・当たり判定など)が勝敗に関わって複雑になっていく。
 相手も自分も出せる駒が多い将棋やチェスのような駆け引きかもしれない。

 そこに「待ち」が組み込まれていると、さらに「この技をいつ出すのか」というところを読まなければならなくなり、時間的なことを予測するという四次元の駆け引きになると思う。
 相手の性格などを感じとったり、現在の心理状況を考え、この場面ならば相手はこのタイミングでこれを出すだろうという予測が必要になる。
 これは…何だろう。別に戦いたくなければ守りに徹し、逆に油断させて誘い出す、先攻後攻に分かれていない実際の合戦に似ているかも。そこはいつ戦いが巻き起こるかわからない緊張感に支配されている。

 四次元の戦いは技術よりも心理的にズバ抜けた人が勝利するという対戦だ。
 相手が技を出してくることがわかっている時点で駆け引きは浅いと思う。
 何故ならこの技にはこう、あれにはこうというパズル的駆け引きに終始するからだ。
 「待ち」を否定することは心理的駆け引きを拒否することにつながりやすいと思う。  



粋2択」の返し技

 「純粋2択」とは前述のとおり近距離で相手に技を当てて固めて、その防御が解けた瞬間に投げか足払い(無敵技)かという2択の駆け引きである。
 対処は以下の3つが考えられる。

@最初からそのような近距離で相手の技を防御してしまうような状況にしない。

 間合い戦や返し技を徹底的に極め、相手にそのチャンスを与えない戦法で、基本的にはこの方針を貫く。リュウケン戦で言えば、昇龍拳や大足払い、投げを食らわないことを徹底し、またその起き上がりに昇龍拳や(地上の敵には投げでもいい)をして相手の跳び込みなどを防御しなければそのような状況は避けられるのである。

 強者はめったにそのような不利な状態に陥らないし、めったに自分からは仕掛けないものだ。何故なら2択という選択肢の狭さが読みの限界を作ってしまい、常勝を目指すならこれほど不確実なものはないからである。五分という不確実性の中で勝負できるのは、読み勝った時に五分以上のダメージを与えられるキャラである場合か、五分という状態がキャラやその時の体力で考えてバランスがいい場合である。
 どんなに読みが熟練しても2択で勝ち続けるのは不可能なので(相手が返す用意をしているという前提で)自分からは投げ返されるのが恐くて仕掛けられず、上達してくるにつれて「純粋2択」は自然に減っていく。お互いに投げたいのだけれども投げられないという状態が続くのである。 
 簡単に「純粋2択」を仕掛けられるのは自分の未熟さが原因であり、また相手になめられているのである。
 ・・・そう言い切りたいが、ストUシリーズもバージョンがアップするにつれて「純粋2択」にもっていきやすいキャラクターがいたり、おいしい技が増えたり、スピードアップの影響でいい加減になって近づきやすくなったことも事実だ。



 A「純粋2択」に読み勝つ。

 返す方が通常技(またはすぐに攻撃判定が完成しない必殺技)を出して攻撃しようとしてもその技の完成より前に自分の投げが完成するので全くの無意味である。この投げを返すには投げ返すか、無敵技で瞬間的に投げられ判定を消して攻撃するしか方法はない。
 しかし、投げは足払い(無敵技)に負け、無敵技はコマンドなので失敗の可能性があり、リュウケンの場合小昇龍拳を失敗すると受け身がとれない(保険大ボタンもあり)。まあ、無敵技であるならば、投げにも足払いにも対応できるので2択ではなくなり読みの上では問題がなくなるが(出るか、出ないかという話)、その昇龍拳をスカして着地の無防備にアッパー昇龍拳をたたき込むという駆け引きもあるのでそう簡単でもない。

 防御硬直状態は投げられないので、仕掛ける側は相手の防御硬直が途切れた瞬間に投げを入力するのに対し(速すぎると投げではなく、投げ失敗の通常技が出てしまうから)、仕掛けられる側は防御硬直中からボタン連打でいいため(本当に極めるには目押しが必要だと思うが)投げ合いになると受け側の方が技術的には有利と言える。
 しかし、投げ間合いの広いキャラが狭いキャラに対して、相手が投げられない絶妙の間合いで仕掛けるのなら、投げ合いにはならず、無敵技以外では抜けることはできない。強者はこういう技の当て方と、そのような状況への持っていき方を研究し、実践しているのである。だから、そのような状況へ持ってかれたのはほとんどの場合運ではない。

 相手の技を故意に食らうと防御硬直がないことや間合いが近いこと(防御するとはじかれるので距離がとられる)から投げ返しをしやすいが、連続技に移行できるレベルの使い手である場合には危険を伴う。
 投げと見せかけて足払いは、転がした後に間合い・タイミングなどが狂って、その起き上がりに同じ状態で「純粋2択」を仕掛けられないことが多く、延々と投げられるということはほとんどない。
 投げと見せかけて昇龍拳は、食らうとまた同じベストのタイミングで「純粋2択」を迫られる。 
 相手に連続技を食らわせた後などの「純粋2択」は、そこでの読み勝ちがピヨりにつながるので、勝敗を決める最も重要な駆け引きだ。 
 「純粋2択」は五分と書いたが、本当のところ五分ではなく、仕掛ける方は今までの展開の中で何かしら返されないという根拠のもとに投げるので勝率は高い。また「純粋2択」の投げを布石にして足払いからの怒涛の連続技という駆け引きがあるので、心理的には五分ではない。


 B投げに対して受け身を取る。

 受け身はXになってから導入されたシステムで「投げられた時に中・大ボタンを押しているとダメージを減らし、なおかつ倒れなくなる(起き上がりの復活が速い)のでたたみこまれることがなくなる」という「純粋2択」の投げ対策のようなものである。

 個人的には真剣勝負に水を差すしょうもないシステムだと思っている。
 それはレバー位置は関係ないので(ストUXにおいて)、投げ返し(レバー左右)をせずに足払いをしながら受け身が取れるという読みに基づかないあいまいな手段(絶対ではないが有効)がとれることと、投げに行った側も受け身が取れるのでリスクが減り簡単に決断して大味な投げ合いになってしまう(ことがある)こと、つかみ技を持っているキャラがこの駆け引きでは有利になること、近距離戦キャラのラッシュ攻撃が弱まりその影響で遠距離迎撃・飛び道具キャラが強力になったことの4点が理由である。
 やっぱり「投げ」は投げ返しか、無敵技という読み勝負になって欲しいので、無難な受け身狙いの逃げ道は塞ぎたい。

 最も重要なことは「投げ」の心理的圧迫から「待ち」を崩すというストUの根本とも言える戦略が揺らぐということにあると思う。投げること、投げられることを気軽に考えてしまうと「受け身とればいいから…」という安易な決断に走りやすく(これはストUXの通常技全般に言えることだが、やられても痛くないことが駆け引きを浅くするのである)面白みが半減する。
 そもそも「投げ」を減らすためにダメージを減らすのはちょっと見当違いで、今までのように「投げ」が強力である方が心理的に抑制されて、その回数が減ると思う。

 
「受け身」のメリットはやはり投げ間合いの狭いキャラや無敵技のないキャラが仕掛けられた時の選択肢がないと「わかっていても返せない」という駆け引き以前の問題になるから、それの救済措置としての効果だろう。
 しかしそれも、投げ間合いの狭いキャラというのはその分その他の部分で補う(近寄らせないなど)という駆け引きがあり、使い手がキャラ性能を何処まで引き出せるかという魅力と反するので、それほど面白みが増したとも思えない。


 3種類の「純粋2択」の返し技がある以上、固め投げは駆け引きとして成り立つと思う。だから毛嫌いせず、固め投げも戦術の一つとして考えて欲しい。
 昔は「ハメ」という言葉は戦法の名称であって、「マナー違反」とか「やってはいけないこと」というニュアンスはなかったのである。
 実際「ハメ」がハマっていることはほとんどなく、脱出法がまずあるので、 何度も同じ連携で「ハメ殺される」ということは、その脱出法の知識がないか、脱出法を実行する技術がないか、学習機能がないかのどれかだと思う。
 そのため簡単に相手の戦術を「ハメ」呼ばわりする人は未熟なレベルであることが多い。返し技の知識がないと、どんな攻撃も「ハメ」に見えてくるのである。

 あなたも相手がある連携を返せないことを察したら、その連携を多用(または要所要所で使用)して戦うだろう。また有効な連携があったら、そのキャラの個性として自分の組み立ての中で使用していくだろう。
 そういう有効な戦術を返しにくいからという理由で「ハメ」として規制していくことが駆け引きを深みのあるものにしていくのだろうか。
 勝てる状況に追いつめた相手を生かしておくことが対戦を楽しいものにしていくのだろうか。 
 嫌なことをしてこない相手と真剣勝負ができるのだろうか。

 これらの話は昔からよく討論されていたことで、その人が対戦を修学旅行の大貧民としてやっているか、将棋などの思考戦としてやっているかで答は変わる。
 大勢は前者なのでこういうことを文章化することに勇気がいるが、誰かが言わなければ相互理解が計れないから、あえて書くことにする。
 商業誌にはいろいろな事情により表現できないことがあるかもしれないし、 自分は今1番身軽な立場だから、その分義務が生じると思うので。
 今対戦の世界に必要なことは、意見が違う人を排他することではなく、柔軟に受けとめる包容力だと思う。  

 

 

索引へ戻る