基本概念

 


 ストUシリーズにおいて必要不可欠な知識が一つある。
 それは立っている時としゃがんでいる時の自分の当たり判定(相手の技が自分に当たるところ)の大きさで、同じ位置にいても自分が立っているかしゃがんでいるかで相手の技に当たる間合いが全然違うのである。立っている時は小さく、しゃがんでいる時は大きい。さらに自分が足払いを出すとその足に当たり判定があるので体でなく出した足を攻撃されるということになる。
 同じ位置からの攻撃でも、立っていれば当たらないが、しゃがんでいると当たってしまうということが生じるわけである。これを利用すると立ってさえいればかなり相手に接近できる。

 相手の攻撃がギリギリ当たらない位置まで接近し、スキを見て攻撃したり、立ってこちらの攻撃を空振りさせようとするのをもっと踏み込んで転ばす。

 もしくは相手が足払いを空振りした時に広がる足の当たり判定を足払いで払ったり、昇龍拳で斬ったりする。 

これが足技である。

 足払いをスカらせる(空振りさせる)ためには立っていなければならないが、立っていると足払いを防御できない。当たり判定が小さくなると言ってもなくなるわけではないのでより深く踏み込んできたら確実に当たる。そこで、そこまで踏み込まれないためには相手よりも先に足払いを完成させることになるのだが、相手にそれを読まれて踏み込んで来ていなかった時(または後ろに下がられた時)空振りしてしまい反撃を食らう。それには、空振りしても危険がない技を出して相手の動きを誘う。簡単に言えば以上のようなことを互いに移動しながら行うのであるが、それらに間合い・タイミング・出す技の違いが関わってきて複雑になる。

技の3要素

 足技戦は3つの要素から成り立つと思う。それは「間合い」・「タイミング」・「出す技」の3つで、3要素の1つが違えばまるで効果や対処法は違う。状況に合わせて「間合い」を変え、「タイミング」を変え、そして「出す技」を変えることで読みや決断の選択肢は広がり駆け引きに深みが出てくるのである。
 そして3つの要素を決定するには必ず「狙い」が存在する。相手を転ばそうというのが「狙い」である場合は必ず相手に当たる間合いで技を出さなければならないし、誘いである場合は空振りしても確実に反撃を食らわない間合いと技でなければならない。
 「狙い」と3要素がちぐはぐなことがない使い手を上級者と呼び、その中で読みや反応などに秀でている使い手を達人と呼ぶ。
 足技戦は何時(タイミング)・何処で(間合い)・何を(出す技)・どうして(狙い)出すかという思考の勝負が熱い。
 上か下かの2択だけだと深みがないが、そこに横の要素が加わるとそれはもう3次元世界である(意味は違うがイメージが)。


合い

 最も重要なところは相手の当たり判定に自分の出した技の攻撃判定が当たるかというところに尽きる。後退して空振りさせようとする相手に追いかけて当てられるか、前進してくる相手に引きつけて当てられるか。簡単に言ったらそれまでだが、移動しながら間合いを把握するのは至難の技だ。確実に相手に技が当たる間合いというのは相手にとっても同じことで、先に攻撃されてしまうのである。
 相手よりも速く攻撃判定を完成させるためにはロスのない最短の間合い、すなわち技の先を当てるということになるが、この間合いは相手に後退されると空振りしてしまう、確実性の低い危険な間合いなのである。
 「確実に当たり、相手よりも速く足払いを完成させる」というドット単位のギリギリの見切り勝負が私にとってリュウケン戦の魅力だ。あの動きの中での間合いを見切る力と相手の行動を予測する力の競い合いが熱い。
 見切りがいい加減な者は空振りが多いのでスキが多いし、読みに片寄ると正確さに欠け、予測できないものは反応に頼るので限界がある。
 小パンチ1発の空振りでさえ影響するシビアな戦い、そして足払い一つ出す間合いでその使い手の力量が問われる恐ろしい世界だ。
 客観的結果的にはただ足払いをしているだけなのだが、その単純な足払いを当てるために水面下で見切り・読み・反応をフル回転させているのである。

 相手に当てるという行為以外、すなわち誘いなどで空振りする時にも間合いは重要になる。
 誘いというのは相手に攻撃意欲を沸かせるようなスキを見せなければならないが、スキがありすぎると不利になり、その絶妙の間合いというのが空振りする技によって違うのである。そしていずれ誘いと本気の絡み合いの中で間合いを使い分け、誘いを相手に読ませた上での駆け引きを展開するようになる。
 間合いの関係ない叩き合いや波動拳に頼りきった戦い方をするのならともかく、間合いを把握することはあらゆる意味で基本で、知らないと駆け引きすらできない。 相手の攻撃が当たらない間合いにいるという最高の防御技とそれを崩す戦略の戦いが熱い(ストUは壁際に追いつめられると不利になるので、相手の空振りを狙うばかりでは苦しくなるところもバランスがいい)。
 技が当たる間合いというのは相手が立っているか、しゃがんでいるかによっても変わるのでその判断も必要になるし、相手を投げられる間合いなども把握しておかなければならない。また前進速度と後退速度の違いや空ガード(後述)も関わってくる。 
 細かい技を除けば、大足払いが一番攻撃判定が長く(ケンは一文字げりが最長)、中足払い→小足払い→昇龍拳or投げというように間合いは狭まる。そのため一般的には長い大・中足払いがメインとなって間合い戦は行われ、読みの裏付けとともに昇龍拳や投げが組み込まれる。

 波動拳勝負の駆け引きもそれまでの癖や展開から読む情報分析・心理分析戦なので以前は奥が深かったが、ストUXにおいて波動拳という技はその強さとリスクが見合っていない技なので(今の強さなら昔のように1回読まれたらピヨるべきだ)昔ほど波動拳を読ませないという緊張感がなく、工夫も覚悟も不十分で奥が浅い(と思う)。死と背中合わせの波動拳であったからこそ波動拳勝負が面白く、気軽に撃てないからこそ足技戦と波動拳が両立していたのである(足払い波動拳以外の波動拳は危険がつきまとうから)。
 昔は波動拳を読まれれば死亡という中で、本当に近づけないリュウケン使いがいたし、彼らは読まれないためにあらゆる努力をしていた。1つ1つの技のダメージも大きかったので相手も気軽に波動拳を撃てず、自分も気軽に跳び込めず、膠着した中で戦って勝敗を決するのは、あの時のあの一瞬の工夫や忍耐力があと1歩足りなかったというのが当たり前であったのだ。
 攻撃しない状態とは読みに基づいた行動を取るために相手を探り合っている情報収拾のための時間なのである。最近は待ちを否定しすぎる傾向だが、相手のことも知らないで簡単に攻めて勝った負けたという叩き合いは1つ1つの局地戦を甘くみてダメージの低さに甘えていることではないだろうか。
 だんだんと波動拳優遇の時代になってきたので、心理戦なのか読めるか読めないかの2択バクチなのかわからなくなってきた。有利ならば誰でも使うのは当然で、これは使い手ではなくシステムに責任がある。波動拳の踏み出した足を足払いで(ほとんど)攻撃できず、跳び込み以外(ほとんど)攻撃できなくなった時点で足技戦の価値が下がってしまった。


イミング

 技には「出だし」・「攻撃判定の完成」・「戻り」の3種類の状態があり、「完成」以外は当たり判定のみの弱い状態である。すなわち攻撃判定の完成が速い技は「出だし」の短い技で、スキが大きい技というのは「戻り」の長い技ということだ。相手の足払いの判定を蹴るということは自分の技の「完成」を相手の技の「出だし」か「戻り」にぶつけるということである。
 相手がスキの大きい技を空振りしたら、即座に完成の速い技を出して相手の「戻り」を攻撃することができる。すなわち相手が大足や中足を空振りしたら大足を振ることで追いかけるようにその足を払うことができるのである。
 相手の技の「出だし」に自分の技の「完成」を合わせる時は早めに技を出すことになるので相手が技を出さなかったことを考えると確実ではないが、それまでの展開や駆け引きで勝算がある時は使用する。すなわち踏み込んでいって相手が足を出す前に早めに足払いを振っておくのである。
 「完成」同士がぶつかりあった時は当然相打ちになるが、出した技の射程に差があって相手の攻撃判定が自分の当たり判定に届かない状態になるならば「完成」同士でも一方的に勝負は決まる。相手の小足や中足を遠目の大足で払ったり、足払いの足の判定を昇龍拳で斬るということが可能なのである。
 相手の足払いを払う行為や相手より速く攻撃判定を完成させる行為は技を出すタイミングと非常に密接で、一瞬のズレが勝敗に影響する繊細さを持っている。

 
 それら技のタイミングと常に切り放せない(もっと重要かもしれない)要素に踏み込むタイミングというものがある。
 同キャラ戦である以上自分の技が相手に当たる間合いでは相手の技も自分に当たる。確実に当てる間合いまで自分が踏み込むのを黙って相手が見ているはずはないが、攻撃する以上その中で踏み込んで行かなければならない。それには相手が何を狙っているのかを予測し、行動を決定すること必要不可欠である。
 相手が空振りを狙っているのなら自分が近づいても技を出さないので攻撃を気にせず余裕で踏み込めるし、相手が自分の踏み込みを攻撃しようとしているのなら踏み込まず止まったり相手より先に技を完成させれば良い。
 相手が意識的に足を出すのを抑えてしまったり、他の選択肢を考えてしまうような間を極めれば大足払いだけでも勝てる(大足理論)。説明は難しいが、ギリギリで止まると思わせて絞らせなかった時点でその踏み込み足払いはまず勝てるはずだ。

 相手が技を空振りした時はその技が戻るまで相手は何もできずその間に安全に踏み込むことができるし、相手はしゃがんでいるので当たり判定は広がり、さらに足の判定が残っているタイミングなら本来当たらない遠い間合いから相手を攻撃することもできる。そのため相手に空振りさせる技術と空振りしない間合いの見切りは常に重要だ。
 
 補足だが、最初からしゃがんでいると足払いを防御できるし、足払いの完成も速く互いに足払いを出し合った時勝ち易いが、その場から動けないため自分で足払いを出す間合いを設定できず、相手が踏み込んでくるのに対応するという受け身の行動しかできなくなるので一概にいいとは言えない。上達してくるとリュウケンは自由に間合いを変えられる立ちスタイル(特に空ガードしないレバーニュートラル)を好むようになる。

す技

 中途半端に技を使い分けられるよりは、大足払いの一太刀の斬れ味や中足払いのしなやかさを徹底的に磨いた方がいいという説もあるが、それは強くなった後の話。 知識があり実践ができるようになってからその中で自分に合う戦い方を選んでいった方がいいと思う。
 足払いの届かない懐の広いリュウケンか、踏み込みの深い追尾型リュウケンか、波動拳勝負が巧みな波動賢者か、投げが絶妙な投げ魔神か、乱戦を制する奸雄か、自分がどのようなタイプで力を発揮できるのかはだんだんとわかってくるはずだし、それがわかった頃には自分の柱となる技が身についているものだ。

おっと、ここでの「出す技」とはちょっと意味が違ってしまった。やれやれだぜ。

 ここでの「出す技」とは局地的な場面での技である。それは「狙い」によってだいたい決まり、相手の動きや自分の読みによって一つに絞り込む。
 例えば接近した間合いで大足払いを出すという行為があり、それを返すのは先に足払いを完成させるか昇龍拳である。その時出した技が大足ではなく小足だったら昇龍拳で足を斬られることはない。小足は速い技なので先に攻撃判定が完成して相手の足払いまでにつぶせる可能性があるが、短いため当たっていないということもあるし少しでも遅れると判定が弱いので負けてしまう。
 では同じ間合いで中足だったらどうか。昇龍拳や足払いに対する弱さは残るが、跳び込まれる危険はなくなり当たれば中足波動拳で追いつめる(突き放す)ことができる。
 大足払いがギリギリ空振りする間合いならどうか。そこで大足払いを振るのは危険だが、こちらが踏み込むことを予測した足払いを蹴ることができるし、相手が踏み込んで来ていたら食らってくれる。中足払いは見てから蹴られる超反応を持つ相手以外に対しては誘い技になるし、踏み込んで来ていた時に食らってくれる。
 小足払いはまるで危険がないし攻撃のタイミングをズラすことができる。
 立ち小パンチならば相手を後ろに下がらせないようにする効果がある。
 以上のように同じ間合い・同じタイミングでも出す技によって効果がまるで違うのである。 


 「間合い」・「タイミング」・「出す技」「狙い」というように文章化すると堅く難しく聞こえるが、実際やっていることは誰でもできることで、ただ単に足払いをやってだめだったからちょっとタイミングを狂わせてやろうとか、空振りしたからもう少し我慢して踏み込もうというファジーなレベルも多い。しかし成功する使い手と失敗する使い手の差は確実にあり、情報の分析と思考の予測に差があるのである。
 そこに波動拳の上下の駆け引きと奇襲の竜巻や投げ・相手の精神をも粉砕する昇龍拳が加わる。この深みはもう面白すぎてたまらない。派手さはなくていいから、こういう駆け引きのできるバランスのいい対戦ゲームが出て欲しい。

 

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