情報戦
何かを決断するには情報が必要だ。今回はこの情報に注目する。
男らしく無謀にてきとうに攻めるだけでは上達しないし、何故そこでその選択をしたのか説明できない。説明できなければ自分が次に同じ決断をできるかわからない。その時の気分で勝ったり負けたりでは勝ち続けることは不可能だ。
(しかしそれを徹底すると冒険できなくなるので、勝負強さという点の直感は大切にしたい)
普通情報のない白紙の状態では確率論に基づいた攻撃をして、相手の対応を情報としてインプットしていく(のではないだろうか)。
致命的なダメージを食らわないだろう技を重ね合い、その場面場面の相手の選択肢から相手の性格や技の懐の広さ・正確さ・反応などを限定していく。
どんな使い手でも最初から最後までパターンや対処を使い分けることはできないし、その人の持つ選択肢が星の数ほどあるわけでもない。上級者ほど「これにはこれ、この時はこう」というマシンのような確実な対応が染み着いているもの。1ラウンド戦っていればその人の持つ選択肢というものが絞れるはずだ。
最後の最後まで取っておくという駆け引きを例外として、その使い手のバリエーションはほとんどの場合自分が見抜いた通りのものである。相手が身につけていない選択肢というものは、ほとんど対戦中に使われることはないので、それを見抜けば楽になる。
実力者はその見せた技の裏と表の駆け引きが上手なだけで、予想外の行動をしているわけではない。やりようが無いというようなことは絶対にないはずだ。
ある間合いでこの技を出したという情報を手にしていると、次に同じ状況になった時に「さっき自分が食らったからまた出すか、逆にこちらがその技を警戒していると読んであの技を出すのでは?」というような読みが入る。
また全く異なる状況での相手の対応から相手の性格のようなものを察して、次の行動を予測することもできる。
しかし、その情報を流して忘れてしまうと判断の根拠がなくなり、常にバクチである。
相手は何かしら意味があって技を出しているのだから(意味なく戦っている 浅はかな相手にはまず負けないはずだ)じっくり観察しよう。
波動拳勝負
波動拳を撃つという行為があり、ストU’までは波動拳を撃つ時に前に出る 踏み足の判定を見てから大足払いで蹴って相打ちでダメージで勝つという戦略で対応することができたし、反応でなくても読んでさえいれば踏み足を蹴ることで消すことができた。またストUターボくらいまではまともに読まれて跳び込まれると一撃でピヨらされることから、近距離において相手が跳ばないという読みなしに撃つことはできなかった。
そのリスクのために「どうやって蹴られないようにタイミングをズラすか」、「波動拳への警戒心理を足払い戦に取り込むか」が重要であり、研究し、実践できる者のみが勝利することができたのである。
何時の頃からか波動拳の踏み足が前に出なくなって地上の相手に対してはあまり工夫がいらなくなり、リュウケンの足払いが短くなって波動拳完成前に消すという戦術が厳しくなり、読まれて跳ばれてもピヨらなくなってリスクが減り、リュウに至っては食らうと燃えるファイヤー波動で相打ちすらできなくなった。
リュウケン戦はそのために「多彩な選択肢の中での心理戦」を楽しむ組み合わせではなく、「強力な技の組み立てのスキを突く心理戦」へと変わっていった。
波動拳を読む
ただ単に波動拳を撃つという行為を何故読めるのか。
カンもあるが、ほとんどの場合カンではなく、「さっきこのパターンで撃った」という根拠がある。波動拳の撃ち方を何処まで細かく分類できるかで読みの鋭さが違うのである。さっきと同じに見えても微妙に間合いが違ったり、そこに至る連携が違ったり、体力が違ったり、自分の対応が違ったりしたために、相手の波動拳を撃つ・撃たないという判断が変わる。
足払いを読んだ波動拳、突き放す波動拳、弱気の入った波動拳、連携の中での心理が入らない波動拳、癖になった波動拳、反応の波動拳、誘いの波動拳、布石の波動拳、相打ち狙いの波動拳、削り期待の波動拳、イメージ植え付けの波動拳、間合い調整の波動拳。
経験上全く無秩序な動きはまず不可能で、必ず法則性というものが存在する。相手が明確な目的を持って撃っていないこともあるが、それにも動機と意味を考えるくらいの執念が最後の最後で効くものだ。
波動拳を読まれたら死亡という時代はそこの心理分析戦が波動拳勝負の醍醐味であった。
『逆処理と再現』
「相手がこのシチュエーションで必ずこう行動する」という情報を手にいれた時には、どのようにその状況に持っていくかを考える。
簡単に持っていけるのならば問題はないが、それが特定の間合いであったり、心理的要素が絡む時などは計算して作らなければならない。
故意にある状態を作り上げる力は絶対に必要だし、それができるかできないかがその使い手の緻密さの目安になると思う。
対戦中に相手の動きが気になったら、試しにもう1度同じことをやって対応を観察したりするし、時にはその情報を得るためだけにダメージを食らうこともある。そこでのダメージは次にそれ以上のものを得るための投資なのだ。
最終的に立っていた者が勝利者だから、そのために目先のダメージなどは気にしない。
さて、相手の癖を見抜いたからといって次の場面で利用してダメージを与えてしまっていいのかどうかを考える。ここで相手の癖を相手に悟らせることが最終的に勝利に結びつくのかを考えなければならない。
その癖を利用してダメージを与えることでさらに次の駆け引きに結びつく場合は当然ダメージを考えてすぐに付け込むが、「相手を壁際に追いつめてから」とか、「スーパーコンボが溜まってから」とか、「ある程度体力が減ってから」とか、最も有効に(できれば致命的に)活用できる状況まで取っておく場合もある。
体力的問題で次のラウンドのためにとっておくという戦略もありえる。
『洞察力』
その使い手の力量によって、同じ動きを見ても得られる情報が違う。
その微妙な情報の違いによって判断がまるで変わることもあり、その洞察力の差が勝敗に大きく関わると思う。
戦いの中で相手が自分が何もしていないのに、組み立ての中で予測上何か行動をしてしまうことがある。その瞬間の情報を見落とさず、行動の意味を見抜くことが「洞察力で勝つ」ということだ。
本来相手のバリエーションは自分がやられ役として存在してやっと見せてくれるものだが、相手がたまたま先読みでしてしまった行動から相手の警戒している技や用意している技を知ることができれば自分はその技を出さずに済むので、 結果的にダメージを食らわずに済むのである。このダメージの有無が非常に大きい。
そしてさらに、自分が見抜いたことを相手に気づかせなければ、その次に相手はまだ危機感を持っていないので(自分がそれを破れるという情報を与えていないため)その技で対処してくることが多いのである。
相手は「初めての局地的駆け引きでたまたま組み立ての相性が悪かったから 負けた」くらいに思っているが、自分の決断は先ほどの小さな情報を根拠にしたもので、本当は勝つべくして勝ったのである。そこでの勝敗の影響は計り知れない。
一瞬の踏み込む動作・躊躇・ちょっとした空振り・コマンドミス・間合いの取り方・タイミングの間で、跳び込み気配など相手の狙いを見抜く。
相手が破り方を確立していない苦手な連携などをその動き(とまどい)などから察して、ここぞという勝負どころの組み立ての構築に使用し、それをさらに 拡大して相手の苦手な戦闘スタイルで勝負する。
常に同じような組み立てでは連勝は難しく、勝ち続けるには相手に対応していくことが必要である。この幅の広さと抜け目の無さ、冷徹な観察力と冷酷な実行力がその人の強さの秘密だと思う。
『布石と弱点』
相手を洞察することをマスターしたら、相手に洞察させることを覚える。
相手の洞察力を逆に利用してしまうのである。
「相手が自分をどの程度洞察しているか」を常に考えておくと、「先ほどこのような動作をしてしまったから、こう察していてもおかしくない」だから「相手はこう動くはず」と、「理論的確率」を飛ばして結論が出せる。
上記の「先ほどのこのような動作」を故意に行うことを「布石をおく」と言い、その動作を「布石」と言う。また、故意でなくても自分が自分の行動を把握していれば「布石」としてその後の駆け引きに利用することもできる。
「布石」をおくことによって相手の思考を導き、読むのではなく自分のシナリオの通りに相手を動かすことができる。当然その「布石」に気づいてくれる相手でなければならないし、その情報を使用した相手の思考計算結果を予測しておかなければならない。
逆に自分が洞察している側であれば、「自分がこの情報を手にしたことを相手は知っているから、警戒してこう動くはず」と裏を取れる。
上級者同士だと「布石」を「布石」と知りつつ、逆に利用するという攻防になることもあるが、基本的には気づかれた時点で敗北する。
対戦中は互いに同じ画面を見ているのだから「相手が知っていることを自分が知っている」はずである。しかしたまに「相手が知っているのに自分が知らない」情報があり、前者は駆け引きの中で問題なく「布石」として利用できるが、後者は相手の見抜いた自分の癖というもので「弱点」である。
「弱点」は1度破られた時点で矯正し、2度目はそれすら駆け引きに盛り込むこと。「弱点」に気づかないように思わせることで「弱点」を「布石」に変えるのである。それが「学習機能」と呼ばれるものだ。