純粋2択

 

 相手に技を当てて固めて投げか足払いか(または無敵技か)という駆け引きを「純粋2択」と言い、そこでの勝敗が即ダメージに直結するという、攻め側・受け側のどちらにとっても(受け側は特に)危険な駆け引きである。
 「純粋2択」の強さは純粋に勝率につながり、「上手い」と「強い」の分岐点になっている。この2択という究極の心理戦(奥が深いか、浅いかはともかく)「純粋2択」を苦手とする人に強い人はいないし(上手い人はいる)、また「純粋2択」に強くて他がおそまつという人はまずいないと思う。

 投げは「必殺技で削る」という行為を計算に入れなければ、防御している相手を攻撃する唯一の手段であり、プレイヤーはまず始めに防御するか、技を出すかという「純粋2択」の駆け引きをくぐり抜けて、2択という五分五分の不確実性を身をもって知った後、確実性を高めるためにそれ以外の技術を鍛えていく。
 同様に投げのタイミングや無敵技を身につけて2択の洗礼を返せる者が次の 段階に進めるのである。
 極端な話、「純粋2択」を仕掛けて七分三分、八分二分の勝率になるようなら、自分の鍛えたその次の段階の駆け引きを見せなくても勝てるので、あえてそれ以外の駆け引きに応じる必要はない。それくらい投げのタイミングは重要なのである。
 異種格闘では、この「純粋2択」にもっていきやすいキャラがいたり、読みは五分五分でも読み勝った時のダメージが比較にならないというような場合があるので安易に見えたりと嫌われる傾向があるが、本来この「純粋2択」に持っていかせない技術が間合い戦のはずであり、そして「純粋2択」を仕掛けられた時の対処がそのまま強さだったのである。
 初代ストUには「こうなったらどんなに体力が残っていても相手がミスらないかぎり負け」という状態や「2択で読み負けてピヨピヨ」というシビアさがあったので、みんなその状態にならないための技術や脱出法などを研究した。
「こうなったら返せないからこの戦法は汚い」という発想はあまり出てこなかった(ガイルの真空投げは思ってしまったかも…)。
 ストU’のベガの時に技術でカバーしきれない部分があり、「ハメ論争」というものが出てきたのだが、それもそういう状況に陥らない戦い方を研究し、実践するというプラス的思考に落ち着いた。 

粋2択」のマイナス面

 私は以下の3つの理由からこの「純粋2択」があまり好きではない。

@これにはこれ、あれにはあれという返し技の確立したジャンケンであること。

 ジャンケンが何故嫌いかというと「選択肢が少ない」からで、実力ではなく、バクチや運でも勝利することが可能だからだ。実際、てきとうバクチや運だけでは勝利し続けることはできないのだが、個人的にはそれらが介入する要素をなるべく減らしたいからである。
 最終的には「純粋2択」での勝敗は根拠のない運だろうと自分の読みの逆をいかれた以上は全て受け入れなくてはならない。


A使い手によっては次の段階を鍛えず五分五分の単純な駆け引きで終始する場合があること。

 「純粋2択」での勝利は1回の読み勝ちが相手のダメージにつながるので、 どんなに格上の実力者相手にもそれなりの戦いを挑める楽ちんさを持っている。
 そのため技の判定や間合いなどに関わるような「純粋2択」以外の攻防を研究しないで、この駆け引きのみで勝利しようとする人がいるのである。
 「純粋2択」はあまりに強烈に勝利へ結びつくために安易な決断となって上達を妨げてしまう危険があると思う。投げ負けても「返されることは承知の上、相手よりも多く投げられればそれでOK」となった時点で駆け引きとしては浅い。
 こうなってくると勝っても負けても叩き合いだ。
 常にどちらかがダメージを食らうような戦いは大味だ。
 

B読んでいても返せない場合があること(自分のタイミングミスであるが)。

 個人的には「この技を出せる人のみが勝てる」という技術力勝負になった時点で面白みが半減すると思うし、心理的には甘いと思う。
 極端な話、100歳のおじいさんだろうが、5歳の幼女だろうが相手の動きを読んでいれば返せるべきだ。
 技術がないものにしか勝てないのなら、技術がある者だけの狭い世界で強いだけで、本来読みではかなわないような者とは全然戦っていないだけのような気がする。
 操作が複雑なゲームは一見駆け引きも複雑に見えるが、実のところ心理という部分に制限を加えているだけではないだろうか。そう感じるのは私だけだろうか。まあ、これは極論(または技術がない者のひがみ)として。

 私は以上の3点に対しての思い入れが強く、自分から「純粋2択」を仕掛けることはあまりないが(相手が警戒していないようならやる)、自分で正々堂々と戦っているなどと言うつもりはないし(不確実だから使わないだけ)、相手にやるなとも言わない。
 ハメ反対派の代表のように思われているが、それは誤解である。
 そもそも「純粋2択」って不確実だから、仕掛けるのにそれなりの確信がいると思うんだけど…。

◎技術力

 最終的には技術もひっくるめてその人の強さである。努力もあり、天性(人間的キャラ勝ち)もあり、そういう技術的要素もなくては研究や発想、操作できるという実力によっての差がつかないし、その技を出せる者のみが行えるという「特権としての駆け引き」もそのキャラを使いこなしているという満足感として、魅力の一つである。「ストUをやる」という駆け引きとは別の部分の、キャラクターとの燃える一体感がなければ無機質なものになってしまうだろう。
 反応の速い人に「反応が速いから同じ土俵に立っていない」と言っても無意味だし、それと技術力も同じだ。
 それにストUは技術力がなくても単発ボタンだけで勝てるゲームなので(投げがコマンドだったらやばかった)、不器用な、いや器用でない私でも技術力以外の面でカバーできた。実際そこのところが重要なのであって、読み勝った時に与えられる相手のダメージの量に差があるだけで(能率は悪いが)、技術力があっても読み勝てない相手には勝てるのである。
 読みや組み立てでの勝利があってこそその技術を披露できるのであって、技術にこだわりすぎるのは本末転倒だと思う。
 リュウケン戦は足払いの長さと跳びこみから2段くらい覚えておけば、あとは組み立てで勝てるんじゃないかな。 

粋2択」のプラス面

 私は以下の3つの理由からこの「純粋2択」は必要だと思う。

@相手の防御を崩せる

 これは簡単だ。相手が技を出さないかぎり何もできないというのでは、駆け引きは成立しない。待たれたらどんな相手にも(これ重要)勝てないのであれば、そのシステムは問題がある。
 ストUにおいては実力の伴わない「待ち」は心理的に上回ることで楽に崩せるので、相手に待たれて自分が負けたら「待ち」による対応の技術の優れた強者というように認めるのである。
 実力の伴う「待ち」に対しては2倍・3倍の読み勝ちが必要な場合があるが、それも読み勝ちがダメージに直結する「純粋2択」に持ち込むことで勝機がある(完璧な対応をされるとキャラ的に「詰み」状態になることもあるが、そこまで使いこなされた時点で相手を認めることができるだろう)。

 話を戻すが、相手が防御しているとわかっているのにそれに対する技が用意されていないというのでは困るのである。 
 この技(投げ)がないと相手は簡単に防御という選択肢を選んでしまうだろう。 また体力的・時間的・キャラ差的にここが勝機という場面では「純粋2択」の直接的駆け引きが必要だ。例えば、飛び道具で相手を近づかせないことがスタイルであるキャラにやっと読み勝つことができて近づけた時、ここで離れたらほぼ負けるのに「防御の上から削って、また近づくところからやり直し」では自分から負けを選択しているようだし、逆に受け手としては「相手を信頼して防御に徹する」では2択の駆け引きすらしていない。
 この駆け引きがあるということだけで素晴らしいと思う。

 ストUXになって投げに行った方も受け身をとれるので、リスクが減ったことが安易さにつながり面白みを減らしているような気がするが(昔は投げ返されるとかなりの肉体的・精神的ダメージだったので、確信の持てるチャンスにしか投げに行けなかった)、読まれるとまず返されるというリスクと与えられるダメージ量が防御を攻撃できるという特殊性と釣り合っているのでバランスがいい(キャラによっては例外あり)。
 安易に防御を攻撃できる投げ以外の技を増やしても、リスクやダメージ量とのバランスを崩すだけだと思う(駆け引きとしては同じなのに投げよりも高度な技術だと思っている人もいる)。
 防御を攻撃できる特殊技というように単純に用意してしまうと、ただの「純粋2択」の直接的駆け引きが増えるだけで、どうやって防御を解かせるかという さらに1歩進んだ心理戦が必要でなくなってしまうのではないだろうか。
 「相手がしゃがみ防御しているからしゃがみ防御を攻撃できる技を使う」のは当然は当然だが、それに終始してしまうと2択ゲームになって深みがなくなる。
 これが私が鎖骨割りを安易な技と思ってしまう理由である。まあ、ある以上しょうがないけれど。


Aキャラ性能の問題

 キャラ性能的に遠距離戦が得意だったり(ダルシム)、飛び道具からの迎撃がメインだったり(ガイル・リュウ)、近距離戦で強さを発揮できるキャラがいて(本田・ブランカ・春麗・ケン)、さらに間合いが接近距離での投げが長所というキャラもいる(ザンギエフ)。
 組み合わせによっては遠距離キャラvs近距離キャラの組み合わせもあるだろう。そこで投げがないと、遠距離キャラは近づかせてしまったという戦略的敗北をただ防御することだけで回避することが可能になるし、返そうという努力をしなくなってしまうかもしれない(それが1番確実だから)。
 また自分が体力で勝っている時には、削り以外体力を減らされないので、防御していれば安心という安易な考えに走るかもしれない。
 それを避けるために「待ち」を否定して、接近距離に弱いキャラにその攻防を強いるのはおかしいし、勝たせてもらっているようで嫌だ。
「投げの心理的圧迫において防御を崩す」ということと「待ちがいけないから相手が防御しないで技を出してくれた」では、真剣さや面白みという点で天地の差があると思うからだ。


Bその恐ろしさを知ることで、間合い戦を鍛えるようになる。

 「純粋2択」は投げ間合いに入るという関門を通った者のみが選べる特殊選択肢なのである。だから、仕掛けるためにはまず近づくという技術が必要だし、仕掛けられるにはその状況に陥ったという自分の戦略的敗北がが必ずある。
 すなわち「純粋2択」の直接的駆け引きを避けるための確実な方法は、相手を近づかせなければいいというただ一点である。あるキャラ相手には難しいこともあるが基本的精神は変わらない。そのような状況を1回でも減らせることが勝率につながっていくのだと思う。
 返し技とはただ単純な戦術的迎撃技なのではなく、この「純粋2択」を突きつけられないための戦略的迎撃技だからである。

 この「純粋2択」の恐ろしさを知らないで(または否定しておいて)、簡単にそのような状況に陥るような危険な冒険をすることは甘えだと思う。
「リスクがなければ簡単に決断できるよな! けどそれは本当に読みですか?」である。
 それを考えると迎撃技の充実したキャラに簡単に跳びこんだり、スキの大きい技を勝算もなく出せないはずで、読みの確信が固まるまでは堅実な地上戦や間合い戦で戦うしかなくなる(対空技の使い分けをしなければ迎撃できないキャラと戦う時はその情報を得るために跳びこむことも必要になり、キャラ的に間合い戦自体に勝機が薄い時はその不確実性の方が勝利に近いので跳びこみの駆け引きになるが)。

 「純粋2択」という根本的土台を作ってから間合い戦を鍛えるのであって、この土台がなければ(リスクを考えなくてもいいので)真剣勝負ではなく、目的がはっきりしない技術の見せ合いになってしまう。
 たとえゲームという娯楽であってもてきとうさは面白みを半減させると思う。「純粋2択」は安易なバクチ的決断の防止策として役立っているのである。
 ストUXではそのスピードのために見切り能力の限界を越える技があったり、そこまでいかなくても相手が(以前より)確実に対応できなかったり、冒険に失敗しても大したダメージを食らわないのでそれほど損な駆け引きではないという側面を持っているが、冒険で勝ち続けている人は存在しないので、勝率を上げるには確実性という部分を鍛えていく方がいいと思う。もちろんその中で勝負強さという部分で冒険は必要になってくる。
「待ち」

 ちょっとそれるかもしれないが、最近「待ち」を否定しすぎる傾向が強すぎると思う。「純粋2択」とともに嫌われやすい「待ち」について、もう1度考えてみよう。

@真剣勝負の楽しさ

 個人的には待つことでそのキャラ能力を発揮できるキャラに攻めてもらって 勝ったり(その使い手のポリシーのような工夫や研究が伝わってくる場合は別)、体力で大幅で勝っている相手が戦略的に必要ないバクチとも言える冒険をしてきたりするのはちょっと興ざめだ。手かげんをしてるとまでは言わないが、本気で勝とうとしていないと映るからだ。
 遊びだろうが、勝利を目指して欲しい。たかがゲームだからと言っていい加減に戦って欲しくない。「負けてもいいや」は面白みを台無しにしてしまうと思う。
 
 だから勝つために「待ち」を組み込むのはその人の勝利への真剣な執着なわけで、それを否定したら「なれ合い対戦」になってしまう。
 組み合わせによっては「待ち」をされると駆け引きをするチャンスすら与えられないことがあるが(その中で一瞬のスキをものにするという快感もある)、だからと言って「待ち」を否定するのは相手に甘えているだけだと思う。
 確かに「待ち」側が有利な場合も多いが、それは自分がこのキャラを選択したという自己責任ということで受け入れるべきではないだろうか。きつい組み合わせもストUのあまりある魅力のちょっとした負の部分として許容範囲と思って欲しい。
(バランスがとれていることが面白いは限らない。全てが五分の戦いはつまらない。そのきつさを克服できることが真の強さである。 BY永田正月)。

 (追加)初代ストUはダメージ量とピヨり易さ、固め投げの強烈さから気軽に攻められずに「待ち」が主体になることが多く、さらに本当に気の長い人や徹底した人が多かったので、それと比較すると今の「待ち」は楽な方である。スーパーコンボなどの脱出技があるために「待ち」を崩した後に連携が続かないだけだ。

A待ちを崩す攻防
 
 「待って勝っても勝ちじゃない。待ちは卑怯だ」と思うのは、「待ちを崩す」という攻防を軽んじていると思う。逃げる相手をいかに捕まえるかの技術と駆け引きがあり、その後に「待ち」を崩す心理戦がある。「待ち」が悪いという認識ではそれらの技量が上達せず、敗因をその戦法(またはそれをする人)やシステムのせいにしてしまう。

 本当に奥の深い近づくまでの攻防もあるし、一発読みに頼らなければならない浅いものもある。多分「待ち」を嫌う人は後者(しかも極端な)を強いられすぎてそう思ってしまったのではないだろうか。そのほんの一部の対戦バランスの悪さのために「待ち」を否定してしまうのは本当にもったいない。
 じっくりと情報を集めて、それを分析し、相手の次の動きを予測するという戦いは、常に技を出し合って器用さを競い合うのとは違った趣があると思う。

 まあ、昔は「迎撃キャラはピヨりやすい」という法則があったし、対応による迎撃スーパーコンボや投げに対する受け身脱出などがなかったので、「待ち」側が有利すぎることもなく、バランスがよかったのだが…。


B運やてきとうが排除される(真に強い者が勝つ)  

 簡単に「待ち」を嫌う人はけっこうバクチ的戦いやジャンケンのような安易な読み合い(技の出し合いという大味な勝負)を好む人に多い。それが男らしい駆け引きだと勘違いして、水面下での奥深い攻防の域に達していないようだ。
 目が肥えてくると「今のは相手の動きをこう読んで対応の用意をしていたけれども、相手がしなかったから結果的には何もしなかったんだな」や「今のはこうしたかったけれども、相手がこうするという可能性があって冒険できなかったんだな」と洞察できるようになる。
 そして「相手はこういう技を狙ってこの間合いを取っているのだから、こっちはそれを封じるためにこの間合いを…」というような実際には技を出さない場面で相手の意図を見抜くという地味な洞察力勝負になっていくと思う。
 「相手がこういう返し技をすることはない」という読みが拾えるまでは、本来危険の伴う技は狙えないのである。少しずつ少しずつ詰めていき、決断するのだ。
 「消極的な待ち」は「積極的な冒険」まで積み上げる情報収拾の時間だ。
 ここで自分がこの間合いでこうした時に相手は何をするか、この場面で間を おいた時に相手は何をするか、この体力では? この展開では? 
 それらの情報なしに根拠無く決断することは「てきとう」と言われても仕方がないのではないだろうか。
 この「てきとう」な決断による成功の見返り(相手に与えるダメージ)がリスクと比べて大きい場面やその攻め自体が情報収拾につながる時、先にダメージを与えることが相手キャラとの相性的に最重要な時、その他奇襲や心理的威圧を 目的としてそれほどの根拠がなく組み込むこともあるが、それを別にすれば強さの根本に流れるものが心理的読みと理論的確実性である以上、簡単に情報収拾時間である「待ち」を否定することはできないはずだ。 
 もしこれらの情報収拾なしに勝ち続けている(2〜3回ならば勝てる)のであれば、よほどのキャラ勝ちか、強運か、その程度のゲームなのだと思う。


C待ちは上達を止める可能性がある(マイナス面)

 「純粋2択」と同様に「待ち」の強力さを知って、それ以外の技術を鍛えなくなる使い手もいる。キャラ性能に頼りきった心理的駆け引きを拒絶しただけの ぬるま湯の「待ち」を安易に選択することで、そのキャラクター、さらにはそのプレイヤーの潜在力はそこでストップしてしまう危険がある。心理的部分がおそまつになってしまうのだ。
 読むということをおざなりにして対応のみに片寄ることが使い手の未知なる可能性(予測的部分)を潰してしまうかもしれない。
 そしてバージョンがアップしてその「待ち」ができないようになると、自分の思考レベルはアップしていないために、そのキャラを見捨てるしかなくなる。 


 以上の4点をもう一度考えてみて欲しい。
 対応によって負けたことで相手を「チキン」呼ぶのは本当に楽だ。相手の読みを越えられなかった自分の未熟さを見つめないで済むから。
 しかし真に強い人はそんな責任転嫁の台詞は恥ずかしくて絶対に口にしないし、相手のスタイルがどうであれ、その中でどう勝利できるかを考え実践するものだ。

 

続き

 

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